私論:月山(7)…端山(ハヤマ)信仰

山形県は何処を見ても山ばかりだがハヤマと称する山が各地に点在する。その多くは《葉山》と書くため、予め「置賜葉山」や「村山葉山」など地方名を添えて混同を避ける場合も多い。その意味では、出羽三山(でわさんざん)の一角を成す羽黒山(はぐろさん)も《黒いハヤマ(羽山)》と言えるだろう。鬱蒼とした杉並木(特別天然記念物)で知られる羽黒山は、その植生ゆえ落葉広葉樹が支配的な他の山々に比べ黒っぽく見えていたに違いない。以下に山形県内の『ハヤマ』と其々の標高を記す。
   ・(村山)葉山:1462.1m
   ・葉山(上山市):687.4m
   ・(置賜)葉山:1237m※三角点なし
   ・羽山(米沢市):534.1m
   ・(庄内)葉山:153.5m
   ・羽黒山:414m※三角点なし

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■ハヤマ(端山)を拠り所にした祖霊信仰      

本来、祖霊信仰と結びついた山岳信仰は極めてローカル(土着)なものだったに違いない。なぜなら、象徴としての神々しい山容は仰ぎ見る位置によって印象を変えるだけでなく、限られた地域からしか拝めない場合が多いからだ。一方で以下の如き《信仰の概念》は容易かつ広範に流布し得るため、同様の信仰形態は島宇宙のように地方毎に成立していったと考えられる

   Q.人は死んだらどうなるのか?
    A.腐れる。
   Q.腐れたらどうなるのか?
    A.魂が離れる。
   Q.離れた(霊)魂は何処に行くのか?
    A.まず、端山(ハヤマ)に登る。
   Q.端山の次は何処に行くのか?
    A.深山(ミヤマ)に登る。


つまり、《ハヤマ(端山)》は、故人の居住地から程近い場所に見えるシンボリックな里山で、亡くなった人が最初に登る山ゆえ、特に篤い信仰を集めた。

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この山形(出羽)に特有のハヤマは、その麓が各地域の『墓地』もしくは『(モガリ)の場』に充てられていた可能性が高い。『』とは日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、棺などに遺体を収容し、かなり長い期間に亘り仮安置(放置)することによって、腐敗・白骨化する物理的変化から死を確認し、霊魂の分離を畏れ願うこと。「」は昭和天皇の葬儀でも行われたが、その長期に亘る精神的苦痛などから、(現)上皇と上皇后は自らの葬儀では火葬を希望されているという。


■ミヤマ(深山)としての月山

其々のハヤマに登った故人の霊は、遺した家族を見守りながら其々の頂に33年の間止まり、その後ミヤマ(深山)》へと登るとされた。県内の端山》の背後には、対応する《深山》が聳えている【下図参照】。

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ミヤマ(深山)には日本百名山に数えられる有名処が名を連ねているが、「やはり」というべきか、出羽(でわ)の中央部に位置する月山は村山葉山と羽黒山という『2つのハヤマのミヤマ』に対応している。一般に出羽三山と言えば《羽黒山・月山・湯殿山》の三山を指すが、ここに落ち着くまでには曲折があり、遡れば《羽黒山・月山(村山)葉山で三山を成した時代もあった。これなどはまさに「2つのハヤマ」と「ミヤマによる弥陀三尊と言えるだろう。

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山また山の出羽(山形)において、始原的・土着的だったモリノヤマ信仰や「ハヤマミヤマの信仰は、蜂子皇子(はちこおうじ)の登場によって次第に羽黒修験という名の道場へと変容し、同時に権力の集中が図られて行ったと筆者は理解している。即ち、羽黒修験(出羽)三山信仰の興隆により、素朴な山岳祖霊信仰だったモリノヤマ信仰やハヤマ(ミヤマ)信仰は、それらに統合されて行ったようだ。
※「蜂子皇子」について



〔最終更新:2019年9月5日13:22〕
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◇連載:私論『月山』の過去ログ

この記事へのコメント

ひよこぴよ
2019年09月06日 19:54
「人は死んだら どうなるのか」

こは私、小学4年生(1966年度)のときに悩んだものでした。
そのうち学校の理科の授業で好きな分野が出てきまして、その悩みはひとまずお預けになってしまった。

ところが最近、自分の体調せいか、また似たような悩みが思い浮かぶようになってきた。

実は私の幼馴染の近所の「当時は 女の子」が病気で亡くなった。
同じく幼馴染の近所の「当時は 男の子」が病気で入院中。
私が小学校入学の時に引率してくださった当時4年生の近所の先輩が病気で入院中。
私の弟も3年前に がん手術。今年定年退職

そろそろ私の世代は重大な病気にかかりやすくなる世代と感じています。

80歳以上の高齢者のほうが通院生活しているものの元気そう。

今年も私は猛暑で右脚の膝関節が感染症で腫れてしまい、つま先まで腫れて3週間 歩けなかった。整形外科通院でほぼ回復するもまだ皮膚の色が「赤茶色」私は暑い時期に「古傷が痛みます」

ブログが新しくなりました。最初、IE-11と エッジ で表示デザインが若干異なるので数日様子をみていました。さきほど どちらも私のパソコンでは同じなりました。
konekono konekono
2019年09月16日 16:29
管理人さんお久しぶりです。

あまり記事とは関係ない内容ですが(^_^;)

昨日は日本一の芋煮会、近所の人の分も買ってきて暑かった陽気でしたが、今日は一転、9時ごろから降り始め、本降りになり、
今時点も降っています。予報ではここまで酷い振りではなかったのでは…とにかく降りっぱなしで買い物に行くにしてもずぶ濡れで、もう雨はたくさんです。
とにかく肌寒くてそして雨が降りっぱなしな最低な連休最終日でした。それでも河原で芋煮会をしている人たちがいました。
ここらのありがちは、強弱を繰り返して冷たい雨が降る…というと、とくに高校時代、夜のシトシト雨で生理痛がひどくて眠れず、昼間の冷たいシトシト雨で生理痛で下腹部がジクジク痛くて授業内容なんて頭に入らなかったことを思い出します。
twisterさとう
2019年10月29日 12:34

>ひよこぴよ さん
ご無沙汰しています。コメントの確認や承認のシステムについて、今日ようやく分かりました(苦笑)。
10年前には想像もつかなかった事ですが、今では私も同じような境遇に苛まれています。私だけが健康で、両親と弟は進行性の病気に罹っており、特に弟はかなり厳しい状況にあります。伯父や伯母に至っては1月と9月に一人ずつ亡くなり、記事にある斎場の写真はそのうち9月に撮ったものです。『memento mori(=Remember you must die.)』について忘れたことはありませんが、確実に自分の身に近づいて来ている、という実感があります。
twisterさとう
2019年10月29日 12:45
>konekono konekonoさん
ご無沙汰しています。今年の秋は気温と湿度がともに高い状態が長く続いています。今日などは寒々しい天気ですが、回復すれば平年よりかなり暖かくなります。私の方は先週フルマラソンを走ってきましたが、この時季としては暑くて散々な結果に終わりました。レースも佳境の38キロ付近になると、熱痙攣などで路上に倒れているランナーもいたりしてサバイバルゲームの様相を呈していました。